いつもと違う夜
その夜、テレビの前で画面をじっと見つめていました。
スタジアムの歓声が増し、サポーターの声が波のように押し寄せて。
ゴール裏のフラッグがはためき、選手たちが駆け寄る。
「あ、これ歴史的瞬間だ」
ミーハーな私は、そんな直感で心がざわついたのです。
サッカーって、みんなで見ると熱が増す
スタジアムではないけれど、家でテレビを通して見るサッカーも特別な時間。
同じ試合を見ている人たちが、SNSでリアルタイムで盛り上げたり、友人とLINEで感想を送り合ったり。
勝利の瞬間にはリツイートが飛び交い、画面の向こうの見知らぬ観客と感動を共有できる感じ。
そういう「みんなが同じ時間を見ている感じ」が、サッカーならではの力です。
ミーハーでもいい、熱がある証
サッカーに詳しいわけじゃない。戦術やフォーメーションもあんまりわからない。
でも、ゴールが決まったとき、思わず「やった!」と声を出して拍手してしまう。
その瞬間、ミーハーであることを、少し自分で許せる気がしました。
だって、あの歓声を聞きたくてテレビの前にいた自分がここにいるわけじゃないですか。
その小さな“熱”を感じられることが、ありがたい瞬間だと思うんです。
歴史の証人になった夜
しばらくしてニュース記事やリプレイ動画を見ながら、「あの瞬間、私は見ていたんだな」と実感しました。
スタジアムで見られなかったけれど、画面の中に自分の気持ちが確かに刻まれている。
記憶という名の“自分の歴史”に、あの歓喜が刻まれた気がします。
サッカーの歴史的瞬間を見られたこと。
それはミーハーな自分にとって、ただの観戦以上の価値を持った体験になりました。
今後、また別の競技でも政治でも経済でも、何かが起きたとき。
「あの瞬間を見た自分」が存在していることが、ちょっとだけ誇らしく感じるのです。
次の歴史的瞬間も、ぜひテレビの前でその熱を刻みたい。
お気軽に共感した方はまた読みに来てください!では、また会いましょう!


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